ブラックジャックの歴史


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(source:insidepulse.com)

ブラックジャックの歴史については、現在まで、様々な説があり、明確な合意がありません。1700年頃にフランスのカジノでVingt-et-Un(ヴァンテアン)と呼ばれ、このゲームが楽しまれるようになったという説によると、フランスで当時人気を集めたゲーム Chemin de Fer (シェマンドフェール) およびFrench Ferme(フレンチフェルム)に由来するのではないかといわれています。スペインにおいても、最低3枚のカードで31に達するよう競う、Trente-un(トランテアン)という同様のゲームがありました。1440年に、スペインの聖職者がこのゲームに言及しており、ドン・キホーテの著者セルバンテスも、1570年の文章で言及しています。他説では、賭博好きだったローマ人がブラックジャックを発明したのではないかといわれています。イタリアにも、同様のゲームがあり、1440年にイタリアの修道士「シエナの聖ベルナルディーノ」が彼の説教において最初にこのゲームに言及しています。

1789年のフランス革命後、ブラックジャックは、アメリカに渡り、瞬時に全米で普及しました。プロギャンブラーは、直ちにこのゲームの利点に気づき、ブラックジャックはたちまち人気のゲームとなりました。既存のヨーロッパバージョンの規則では、プレイにおいて意思決定をする前に、プレーヤーがディーラーのアップカードを見ることは許可されず、また、ディー ラーがヒット(Hit)するか、スタンド(Stand)するかを既に決めた場合、16でヒットするか、または17でスタンドするか、ハウスの規定する義務パターンに従うようになりました。19世紀には、腐敗と犯罪が広がらないよう、ギャンブル界に規制が必要であると、米国政府は理解し、ギャンブルが腐敗と犯罪を助長しないよう、規則が導入されました。19世紀には、ブラックジャックを含むギャンブルが非合法となり、この間、ブラックジャックは秘密のクラブで遊ばれていました。1920年代の規制はより厳しいものでしたが、1931年に、ラスべガスが合法ギャンブルのドアを開きました。